サイクリングに行こうよ

今から書くのはむかし話です。通勤電車で思い出したからここに書き留めておきます。


僕は小学生の時からとんでもない勘違い野郎でした。
まず自分のことを何かの物語の主人公だと考えがちだったんです。大方漫画の読みすぎか、夕方からゴールデンタイムにかけて放送されるアニメの見過ぎだった影響があったんでしょう。
そしてそういったヒロイックな勘違いの行動をとったとして、僕はきっと全てが上手くいくはずだと考える傾向にありました。悪に負けるときがあっても最後は全員が僕の味方になってくれるはずだというようなことを考えていました。月並みな言葉ですが現実はそんなに甘くはなかったです。
なにがあったかというと、小学校低学年の頃にいじめられていた友達を助けようと下駄箱で「よくもダチを!」って叫んでいじめっ子に飛びかかったことがあるんですね。そんな小1いるか???

分析するに当時読んでた漫画「遊戯王」に出てくる「城之内」という登場人物に憧れての行動だと思います。そいつはすごい情に厚く熱血なんです。多分飛びかかる時のセリフですらパクってた気がします。行動力すごすぎるだろ昔の俺。

この後あっけなく先生に制されて、いじめっ子を殴った僕はすごい先生に怒られたしすごいお母さんに怒られたし、結果として僕の暗い小学生時代を決定づけた僕を対象にしたいじめがここから始まったわけです。
まあ詳細は省いて6年間本当に地獄だったわけですが、学べたこともありました。どうにもならん時は本当にどうにもならんなということです。誰一人味方になってくれない時だってあるし、みんな汚いものから目を背けたがるものです。感情のゴミ箱のように扱われてた当時の僕や、そこから目をそらす自分とかから。
それは本当にしょうがない、誰が悪いとかじゃないんです。今になると思います。
多分当時そういうシステムがクラスという機構の中でできあがってて僕はそういう役割だっただけなんです。クラスが友好的な雰囲気を保つための便宜的な立ち位置。掃いたゴミを捨てるためのゴミ箱。それがかわいそうということを言いたいのではなくそういう役割ってだけです。
当時はくそったれとしか思わなかったけど。

そんな災害みたいなどうしようもなく降りかかる出来事の渦中にいた僕とも一緒にいてくれた奴がいたんです。
そいつは特別僕のことを励ますわけでもいじめっ子に対して何かアクションを起こしてくれたわけではなかったです。
ポケモンでいうと水地面タイプのヌオーみたいな奴でした。いつもぼんやりしてるような印象。僕が話しかけても5秒くらい空けて返事が返ってくる。
当時一緒にパッチールが主役の漫画を描いて見せあってました。そいつは絵がすごい上手くて彼が描く漫画に出てくるキャラクター全ての表情が活き活きとしてました。あの能面のように表情を付けづらいパッチールですら感情がビビットに伝わってきました。パッチールわかる?
これね。
僕は昔から超弩級に絵が下手くそで、通信簿でも美術の先生が「1はあり得ないよね、子供の未来潰しちゃうよね」ってなって『2』をお情けで付けてくれるレベルで美術的センスが皆無でした。小学生の頃犬の絵を描いたらそれを見た奴らから『未来の化け物』という名前をつけられてふれ回られたこともありました。
そんな僕の描いたド下手な漫画にもおもしろいと言ってくれていた気がします。鮮明に覚えていませんが。
ともかくどんな形にしても心が近い距離にあった友達は彼ぐらいでした。
一緒に自転車で市の中の一番遠いところにいって「何もないね」って言って笑ったり、彼の家のPCで、当時流行っていた面白フラッシュを一緒に見たり、カードゲームを無限にやるなどをやっていました。
小学生時代唯一の温かい思い出であることに間違いはないです。彼がいなかったら多分もっと性格がねじ曲がっていたか、塞ぎ込んでいたかに違いないです。

彼と僕は小学校の真ん前にある中学校に同じように進級し、流石に漫画は書かなくなりましたが、二人で遊びに行ったり、さらに遠いところ(隣の市とか)に自転車で行ってみたりしました。
二人で遊んでいると行った先に何にもなくても、何か面白いことがあっても、内から染み出して溢れてくるような温かい楽しさがありました。

僕の中学時代はとにかく「キャラ」を固めて、多くの人から愛されようとするのに必死だった記憶しかないです。授業中にいきなり「おっぱい」と言ってみたり、無意味な露出を繰り返したり、あれ?下しかねえ、だけどそれで良かったし盛り上がったんですよね中学生なんて。やろうと思えば、変わろうと思えば、誰にでも認められるとあの時の僕はなぜか分かっていたので、進んでピエロになれました。

だけど彼と話す時は自然な自分であれた気がします。内向的で、根暗で、派手なことは嫌いで、好きなことは散歩な自分でいれました。とにかく彼は泰然自若としていたんですよね。今でもその部分を尊敬しています。

彼とは、高校は別々になったけどそれでも交流を続けていました。大学に上がっても小学生の時と同じようにゲームセンターに行ったり、自転車でどこか行ったり、押入れの奥からカードゲームを引っ張り出してひたすら興じるなどをして遊んでいました。バブみがすごいな。


彼に高校時代彼女ができたんです。僕も同じくらいに初めて彼女ができて。お互い「お前に彼女とかすげえな、どうなってるんだ」みたいな軽口を叩きながらも祝福しあってた気がします。
僕も彼も一年、二年とそれぞれ彼女との記念日を楽しんで、愚痴を叩きながらも「お互い長続きすればいいな」みたいなことを近況報告の後に付け加えていました。

ちなみに僕は大学二年の時に交際6年目でお互い限界を感じていた当時の彼女に別れを告げて、目の前で彼女の嫌いなタバコを吸い、彼女に平手打ちをされて立ち去られていった後に、ドリフかってぐらいタイミングよく大雨が降ってきて、ベンチに座って僕らの一部始終を見てたおっちゃんから庶民の味方「わかば」を一本もらい、大雨の中タバコを吸っていた気がします。
普通に最低だしサムすぎるから死にたいな。なんで毎回黒歴史とセットなんだよ。恥の多い人生だなあ。

僕のことは別にいいんです。
僕が当時の彼女と別れた後も、大学を卒業した後も彼は変わらずに高校時代に知り合った彼女と付き合い続けていました。尊敬の念を超えてもはや怖かったです。

大学を卒業した後も定期的に一緒にボードゲームで遊んだり、二人で長野に行って高原でテニスをしたりして遊んだりなどをしていました。
お酒が飲めるようになって、免許証を手に入れて、一人で暮らすようになって、できることは色々増えたけど僕らの本質的な部分は小学生の時から何も変わらないままでした。一緒にいると静かな森の奥にひらけた陽の当たる空間にいるようなあたたかさを感じれました。

去年の6月に、彼が付き合い続けていた彼女と結婚するという話を僕にしてくれて、それはそれは言葉にならないような喜びが僕に訪れました。
「昔一緒に公園で一緒に遊んでた君が結婚かあ」なんてそっくりそのまま思ったことを彼に言ったら彼は表情一つ変えずにぼんやりと「まあもう大人だからねえ」と返されて嬉しい反面ショックもすごかった気がします。

どうやら彼は彼女と結婚すると同時に一緒に暮らすらしかったので、お互いの生活のリズムを知らないうちに、それって本当に大丈夫なのか、と一抹の不安はよぎりました。
がしかし、彼ら当事者が決めたことなので何か口を出すのは野暮EST(野暮の最上級)だなと思い、ただただ祝いの酒を一緒に飲むなどしてその日の僕の記憶はなくなりました。

彼と彼の彼女が籍を入れた後も、「遊び辛くなったな」なんて彼を冷やかしながら時々遊んだりしていました。
会うたびに惚気られたり、共同生活の報告を受けるたびに僕の残機数は減っていきましたが、彼が幸せになれて本当によかったと思っていましたし、その話をしている最中は「よかったなあ」とドラクエの村人のように同じことしか言ってなかった気がします。

ある日、彼から「飲みに行こう」とラインが来ました。暴飲暴食タバコが大好きゴミマンの僕とは違って、彼は正しいお坊さんのような生活リズムで過ごしていたので、彼から飲みの誘いが来るのは本当に珍しいことだったのです。
こういう時の飲みの誘いは本当に不吉なもので、嫁と痴話ゲンカぐらいであってくれと思いながらスタジオの合間に1時間だけ時間を作り居酒屋に集まりました。
「離婚する」ってお酒も来てないのに一言目に言われて何にも言えなくなりました。
僕にも色々考えることはありました。いつ。なんで。どっちが切り出したのか。もうそれで決まりなのか。ちゃんと話したのか。お互いの親になんて話す気なんだ。
でも、とりあえず言葉を待ちました。
話を聞いてる限り、理由は詳しくは書かないですが、最終的に彼が嫁さんから言われたのが「本当に無理」って言葉だそうで。それは僕自身が「本当に無理」と誰かから言われたぐらい、いやそれ以上にショックだったんです。
彼が自分のことを病気かもしれない、と話しはじめた時、そんなことない、俺に嫁と話をさせろ、と大声で言ってしまいました。そんなこと実現してもどうにもならないのにね。
僕は彼に嫁さんと離婚ではなく別居という道を選ぶべきだ、そもそも結婚はそんな簡単にはいやめたでやめるべきことではない、彼女と恋人として付き合ってるのとは訳が違うんだぞ、そもそも君が納得できてないのに離婚もクソもあるか、ということをできるだけ冷静に話しました。
だけど僕の話す言葉は自分で話しててどのように彼の耳に響いているのか全然わからなくて、ガラス越しに話しているような感覚に陥りました。
なぜこんなに長い時間一緒にいたのに彼の背中を押してあげられる大事な一言が言えないのか本当に悔しくて泣けてきそうでした。
でも泣きたいのは彼だろうし僕はひたすらに話を聞きました。

その日から一週間後ぐらいに、「とりあえず話はできた」「別居することになった」「これからどうなるかはわからないけど離婚しないでよかった」と連絡がきました。 

僕が彼の力になれたのかは最後まで全然わかりません。結局それは彼一人の力でなんとかするしかないことで、僕が何か言おうが言わまいが、決めるのは彼で、力になれることなんて本当は一つもないのかもしれなかったです。
だけどただ一緒にいることだけなら僕にもできます。彼が小学校の時そうしてくれたように、僕もいま、彼のためにそうありたいです。余計なことを言わず、彼の決めたことに「そう決めたならそれでいいんだよ」とそばで言うだけの人でありたいです。
多分これからも僕たちは一緒に遊んで、遠くにいって、ゲームセンターでお菓子を取りまくります。
お互いにとって変わらない場所があるってだけでいいもんです。 


金曜日、僕は彼が新居先に引っ越すための準備を手伝ってきます。
レンタカーを借りて、家具を運び、新しい家に置く、なんて小学生の時には想像できなかった自分ですが、心持ちとしては自転車で行ったことのない場所に行くぐらいでありたいなとおもいます。

ちょー長い文だ、おやすみ。








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