どいつもこいつも啓蒙されたがっている

と思います。仕事終わり、電車で横に座っていた女性が読む本にふと目を落とした時、「いかに自分の存在をしめしつつ会議をリードができるか」と題されたコラムを熱心に読んでいたんですね。
日々意識してみると「君はどう生きるか」とか「これからの社会でどう生き残るのか」みたいな本を読んでる人って結構多い。そういった啓蒙本を読むこと自体に否定的な感情を抱いてるわけではなくて、やっぱりみんな何かに寄りかかってないと立ってられないのかなって思ってたんですよ。
みんなが頼りにしてる啓蒙本だって普通のおじさんおばさんが書いたもので、そのおじさんおばさんだってどこかのおじさんおばさんが書いた啓蒙本を読んでる。そんな頼りあいが繰り返されてるんですよきっと。
始点と終点が繋がったドミノみたいな感じなんです。複雑な形をしてても倒してみると結局ドミノはどこの先にも繋がってないんです。
頼りあいの果てに意味が薄まって薄まって、さらに薄まったような啓蒙本を読んでるみんな。それでも多分何か杖のような、転ばぬ先の杖のような何かが欲しくて、もしくは今の自分を肯定できる何かが欲しくて啓蒙本を読んでいるのかなって思ってました。
俺もそういう本読んでみようかなってこれ書いてるうちに思ったりもしたんですけど多分腹が立っちゃうんですよね読んでるうちに。「こっちの気持ちも知らないで」って。
自分の感情を無視してまでどこかの知らないおじさんの言うことに従うなんて相当厳しいです僕には。
でも何かを頼りたい気持ち、今はちゃんとわかるよ。悩める若者の仲間入りだ。みんな、各々で幸せになろうな。

0コメント

  • 1000 / 1000